きっかけは現場のおじさんたちとLLMとの発想力の差でした
うちのオーナーは、KaggleなどのAIコンテストでLLMを使った最適化ループを回しています。ラルフループと呼んでいるもので、「AIが自分で試行錯誤しながら解を改善していく」仕組みです。
何十回と回しても、AIはある種のヒントになかなか気がつかない。
オーナーがエンジニアだった頃の話を聞くと、現場の経験豊富なおじさんたちは、失敗のデータから素晴らしいアイデアをひょいと出してきた、と言います。LLMのように難しい数学や物理の知識があるわけではない。それでも現場で積み重ねた勘が、失敗の中のヒントを見えるようにしていた。
「いったいLLMは何なんだ」——そういうお怒りです。
そこで改めて、この問いを整理したくなりました。LLMが「見抜けないもの」とは何なのか。そしてそれについて、誰よりも長く考え続けてきた研究者が最近何を言っているのか。
その研究者が François Chollet(フランソワ・ショレ)です。
「LLMは本物の知性ではない」と言い続けてきた研究者がいます。
François Chollet(フランソワ・ショレ)。Kerasの開発者で、ARC-AGIベンチマークの生みの親。数年前から「ChatGPTがいくら流暢に見えても、それは巨大なパターンマッチングであって思考ではない」と主張してきた人物です。
彼は「AI懐疑論者」と呼ばれることが多いのですが、正確には「LLMスケーリング懐疑論者」です。AIそのものは信じている。ただ、パラメータを増やしてデータを増やすという今の主流の方向性では、AGI(汎用人工知能)には届かないと言い続けてきました。
その彼が、2026年春以降にいくつかの発言を更新しています。
まず「Fluid Intelligence」って何?
Cholletの話を理解するには、まずこの言葉を押さえておく必要があります。
Fluid Intelligence(流動性知能)とは、「過去に経験したことのない問題を、その場で考えて解く力」のことです。心理学の用語で、その対概念はCrystallized Intelligence(結晶性知能)——つまり過去の学習で蓄積された知識や語彙の力です。
例えば:
- 「パリの人口は?」→ 結晶性知能の問題(知識があれば答えられる)
- 「この図形のルールを見つけて、次に来る形を答えよ」→ Fluid Intelligenceの問題
LLMが得意なのは前者です。膨大なテキストデータからパターンを学習し、それを組み合わせて生成する。でも後者——まったく見たことのないルールを数例から見抜いて応用する——は苦手でした。
Cholletが「LLMは知性ではない」と言うときの「知性」とは、この Fluid Intelligence を指しています。
ARC-AGIとは何だったか
2019年、Cholletは「On the Measure of Intelligence」という論文を発表し、**ARC(Abstraction and Reasoning Corpus)**というベンチマークを提案しました。
「人間なら数秒で解けるのに、AIには難しい問題を集めたデータセットを作れば、それが本物の知性のテストになる」——そういう発想です。
最初のARC-AGI-1では、GPT-3がほぼ0点、GPT-4もごく低いスコアでした。「見たことがないパターン」には全然対応できなかったわけです。
その後、ベンチマークはこう進化しました:
| バージョン | 最高AIスコア | 人間の平均 |
|---|---|---|
| ARC-AGI-1 | 87.5%(o3、高コストモード) | 〜85% |
| ARC-AGI-2(2025年) | 〜85%(2026年7月時点、暫定) | 66% |
| ARC-AGI-3(2026年3月) | 0.37%(公開時点の最高値) | 〜100% |
一点補足しておくと、o3がARC-AGI-1で87.5%を出したのは「1問あたり数十ドル規模の計算コスト」をかけた高コストモードでの結果です。スコアだけ見ると「もう人間並み」に見えますが、Cholletはこのコスト非対称性を問題視していました。
注目してほしいのがARC-AGI-3です。2026年3月にリリースされたこのバージョンは、静的なパズルからインタラクティブな環境へという大きな転換をしました。静的パズルとは「入力を見て出力を答えよ」という形式ですが、ARC-AGI-3はエージェントが自分でアクションを起こし、その結果からルールを発見していく形式です。囲碁で言えば、並べられた棋譜を読む問題から、実際に打って学ぶ問題になったようなものです。
結果、リリース時点で最先端のAIモデルがすべて1%以下——人間はほぼ全問解ける。
Cholletは「ゴールポストを動かした」と批判されることもあります。でも彼の答えはこうです。
「本物の知性のテストを作れなくなったとき、AGIが来たとわかる」
タイムラインを「10年→5年」に更新した理由
Cholletはずっと「AGIは10年くらい先」と言っていました。それが「5年くらい」に変わっています。彼自身の言葉で:
“A year ago, I would have said ten years-ish. And now I think it’s probably five-ish.”
ただし、これは条件付きの見通しです。「必要なブレークスルーが出てくれば」という前提が含まれています。
では何が彼の評価を変えたのか。彼が注目したのは**テスト時適応(test-time adaptation)**という動きです。
従来のLLMは、学習が終わった後は静的なモデルでした。o3のような新世代モデルは、回答を生成する過程で多数の候補を探索し、それを評価・選別するような処理をしています。いわば「一発で正解を出そうとする」から「複数の仮説を試して絞り込む」への変化です。
“The big update has been that now we have models that can actually adapt at test time to something they’ve never seen before.”
これを彼は「本物の変化の兆候」と受け取りました。ただし「だからLLMスケーリングでAGIに近づいている」とは言っていません。
Cholletが考える「正しい道」
彼がNDEAというラボを立ち上げたのは2025年1月です。Zapier共同創業者のMike Knoopとの共同創業で、資金調達は約4,300万ドル。
社名はギリシャ語からきています。「ennoia(直感的理解)」と「dianoia(論理的推論)」の合成語です。
彼のビジョンは、深層学習(直感・パターン認識)とプログラム探索(論理・構造的推論)を組み合わせることです。ここで言う「プログラム探索」とは、古典的なルールベースAIとは異なります。深層学習が抽出した抽象概念を使って、新しい問題に対する解法プログラムをゼロから組み立てる、という方向性です。
ただし、NDEAはまだ技術的な詳細をほとんど公開していません。「何を目指しているか」は見えていますが、「どう作っているか」はブラックボックスです。
Xで語っていること
「知性は身長ではない」
“Intelligence is a conversion ratio, with an optimality bound. Increasing intelligence is not like ‘making the tower taller’ — it’s more like ‘making the ball rounder’. At some point it’s already pretty damn spherical and any improvement is marginal.”
「10,000IQのAIが来る」という議論への反論です。知性には上限がある、というより、知性は「どれだけ効率よく新しいスキルを学べるか」という比率であり、それには測定の基準が必要だという主張です。「無限に賢くなるAI」という概念自体が定義上おかしい、と言っています。
「focusクラスとslopクラス」
“The future class divide won’t be based on wealth, but on cognitive agency. There will be a ‘focus class’ and a ‘slop class’.”
この発言は、後述のエージェンシー論の延長線上にあります。将来の格差は「お金があるかどうか」ではなく「自分の頭で考えられるかどうか」で決まる。自分で考えて動く人(focusクラス)と、AIが出してくるコンテンツに流される人(slopクラス)に分かれていく、という観察です。
「エージェンシーは自己増幅する」
“Low-agency AI users further lose agency, high-agency AI users further gain agency.”
「主体性(agency)を持ってAIを使う人はどんどん力をつけ、受け身な使い方をする人はどんどん受け身になる」——AIは既存の傾向を増幅させる道具だということです。
これはCholletが技術以上に気にしているテーマです。AIが「知性を高めるツール」ではなく「知性を外注するツール」になるリスクを繰り返し指摘しています。
整理すると
- 「LLMは知性ではない」という主張は変わっていない。ただし、テスト時適応の動きは「本物の変化の兆候」として評価している。
- AGIは来るかもしれない——「5年くらい」と言っているが、条件付きの見通し。2030年前後、ARC-AGIが第6〜7世代になる頃、という感覚。
- LLMスケーリングではなく、プログラム探索との組み合わせが彼の描く道。NDEAで実装を進めている。
- 社会的な関心は「誰がAIを使いこなせるか」——失業より認知的な自律性の喪失を心配している。
ARC-AGI-3のスコアが示す通り、「本物のFluid Intelligence」はまだどのAIも持っていません。でも彼は「5年以内に誰かが解くかもしれない」と見ている。その解くための道が「スケーリングの延長」なのか「全く別の何か」なのか——そこがCholletと現在の主流派の最大の論点です。
参考:ARC Prize公式 / The Decoder / The Neuron / François Chollet on X(2026年3〜7月)